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1950年代~1960年代 1953年~1957年
綱島理友のユニフォーム物語 ユニフォームのイラストをクリックすると詳細が見れます。
ホーム(1953~1957年使用)
吉田義男
吉田義男
ビジター(1954~1957年使用)
藤村富美男
藤村富美男

 1953年、大阪タイガースに伝統の縦縞ユニフォームが戻ってきた。

 戦後すぐの時代、戦前に疎開させていたグレーの縦縞の生地で縦縞ユニフォームを復活させたタイガースだったが、そのストックも数年で切れてしまった。

 そして時代はモノ不足の戦後。生地が簡単に手に入らず、しばらくの間タイガースのユニフォームから縦縞が消えていた。

 戦争が終って8年。この時代になって、やっと思い通りのユニフォームが作れる時代がやって来たというコトだったのかもしれない。

 この年に登場したホーム用ユニフォームは、戦前の創設期の縦縞スタイルを踏襲していた。そして縞帽子も復活。伝統のユニフォームが再現された。

 ただ、ひとつだけ残念だったのが帽子マークだ。このときの初期型はOの文字色が戦前とは違う黒で、それを黄色の輪郭が囲む形になっていたのである。しかしこれもすぐに、創設期と同じ赤いOが登場し、完全な伝統のユニフォームの復活となった。

 ポイントのように縞の帽子についた赤いOの文字。そしてシンプルな縦縞に、カラフルな縞のストッキング。これは日本球界を代表するグッドデザイン・ユニフォームである。

 一方、ビジター用は54年から胸マークに新しい書体のOSAKAのレターが入ったユニフォームが登場する。

 戦前にもOSAKAレターのグレーのユニフォームがあったが、書体も全体のデザインも、形がまったく違っていた。新ビジター用は胸マークの書体をはじめとして、時代のスタイルをそのまま取り入れていた。

 ホーム用は伝統のスタイル、ビジター用はそのときの時代のスタイル。これは現在のユニフォームにも共通しているかもしれない。

 しかしホーム用の縞帽子は、残念ながら可愛らしすぎて強く見えないという理由で、58年のオープン戦いっぱいでカラフルな縞靴下とともに廃止されてしまう。

 縞帽子は82年にも復活したが(帽子マークは違っていたけど)、これも「強そうに見えない」という当時の野村克也監督の意見で、99年いっぱいで廃止されている。歴史は常に繰り返されるというコトなのか。

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