1975年~1978年 |
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1975年、阪神タイガースの監督に。のちにムッシュ吉田と呼ばれるかつての名遊撃手、吉田義男氏が就任した。
この年は新人監督が話題になった年で、読売ジャイアンツでもミスター長嶋茂雄監督が就任している。ミスターとムッシュ。このふたりが同時に新人監督としてスタートしていたなんて、今では覚えている人も少ないかもしれない。
スター選手の監督就任は華々しい話題になる。そして心機一転の気分を盛り上げるためにタイガースとジャイアンツでは新ユニフォームを採用した。
ジャイアンツは長嶋監督が大リーグ好きだったために、サンフランシスコ・ジャイアンツ風のユニフォームを採用したが、タイガースの新ユニフォームはちょっと異色だった。
正確に言うと、この年登場した新ユニフォームはビジター用だけだったのだが、注目をあつめたのは袖口とパンツのサイドに装着された奇抜なラインであった。
「輝流ライン」と命名された黒と黄色のギザギザ・ライン模様のラインは「赤穂浪士の討ち入り衣装からとった」とか「新撰組の戦闘衣装がモデル」とか言われているが、デザインを担当したのは72年の札幌オリンピックや沖縄海洋博覧会のシンボルマークを手がけた、日本グラフィック・デザイン界の重鎮、永井一正氏だった。
新ビジター用ユニフォームがはじめて登場したのは3月15日、南海ホークスとの大阪球場でのオープン戦だった。そして新ユニフォームでさっそく一発を放ったのが田淵幸一選手。「着心地満点」とご機嫌だったが、チームは残念ながらこの日から3連敗。ユニフォームを新しくすると負けるという、タイガースのジンクスは生きていた。
当時の週刊ベースボールの記事に「あれはユニフォーム負けだよ。田淵さんくらいなら何を着せても似合うが、他の選手はどうもね」というホークスの江本孟紀投手の談話が出ていたが、当のご本人も翌年、トレードでタイガースに移籍。このユニフォームに袖を通している。
そして江本投手が移籍した76年、ホーム用にも輝流ラインが登場する。これにあわせて、ビジター用についていた虎の袖章が姿を消してTigersの文字が入るようになる。そして虎の袖章はホーム用の袖に移籍。
ホーム用ユニフォームに虎の袖章がついたのは、このときがはじめてだった。