1988年~1990年 |
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このユニフォームが登場したとき、ボクは当時の村山実監督のポリシーみたいなものを感じていた。
タイガースが現在も使用しているラインのない縦縞のホーム用ユニフォームの原型を採用したのは1982年だった。この年、監督が中西太氏から、タイガースOBの安藤統男氏に交代。チーム生え抜き監督の登場で、ユニフォームも伝統のスタイルに改められるコトになった。
ただ、このユニフォーム、雰囲気は伝統を取り入れていたが、シルエットは当時の流行だったプルオーバー・タイプで、従来の前開きボタン式とは違っていた。
このときはホーム用だけがモデルチェンジされたのだが、2年後の84年にビジター用もモデルチェンジされ、グレーの縦縞ユニフォームが登場する。球団創設期、そして戦後の一時期に、タイガースにはグレーの縦縞ユニフォームが存在していた。
ただし、このとき登場したグレーの縦縞ユニフォームも、シルエットはホーム用同様プルオーバー式だった。
そしてあの85年がやって来るのである。
タイガースは21年ぶりのリーグ優勝を飾り、日本シリーズでもパ・リーグの覇者西武ライオンズを撃破。日本一に輝く。 このため縦縞プルオーバー・タイプのユニフォームはゲンのよいユニフォームとなった。 しかしこのユニフォームに手を入れたのが、88年に就任した村山実監督である。プルオーバー・タイプを廃止して、前ボタン式に改めたのだ。
「野球のユニフォームは前ボタン式やないとアカン」
前開きボタン式の新ユニフォームが登場したとき、ボクには村山監督がそう言っているような気がしたのであった。
ただ実際のところ、変更されたのは前ボタンだけ。全体的な雰囲気に変化はなく、このマイナーチェンジに気がついた人はそれほどいなかったようだ。
一方、ビジター用のHTの帽子マークが白から銀色になったのもこの年から。どちらかというとユニフォームの前開きボタンへの変更よりも、こちらの方に気がついた人の方が多かった。
しかし村山監督が指揮をとったのは2年間だけで、90年には中村勝広監督が就任する。最初の1年間は村山スタイルの前開きボタン式を使用するが、2年目にはゲンのいいプルオーバー・タイプを復活。このユニフォームは姿を消した。